用語説明およびコメント
インターンシップ・プログラム
海外に文化交流実習生を送り込む謎の団体。パンフレットはもらったのだが、私にはよくわからなかった。詳しくはインターンシップのページへ。我々のツアーは「カルチャー・インターン」ということで、文化交流の一環らしい。3月にはエジプトの発掘ツアーのいうのがあったそうだ。ちなみに1996年の恐竜発掘ツアーは旅行会社はJTB、現地とのコーディネータに電通が噛んでいるらしい。
べらぼうに高いツアー代金
通常のモンゴル観光は夏場でも30万程度である。インターンシップのツアーはなんと55万円。普段人のいないところにゲルを建てて、道なき道を水から食糧から何からなにまで運ばなければならないのでこうなってしまった、と説明された。それにしても高いと思うが、発掘隊への寄付の気持も込めて、大枚をはたくことにした。
出発前の予定
1997年のツアー出発前の予定は「南ゴビ恐竜化石探しツアー仲間募集」を参照。モンゴルの会社New MonとはFAXでやりとりをしていた。もちろん、日本語で。最初のプランに入っていた観光は全部はずして、発掘地を1日増やしてもらったりしたのだが、結局、観光も入っていた…。なかなか意志疎通は難しい…。
バルスボルド博士
モンゴルでの恐竜研究の第一人者。1980年代ぐらいからの重要なモンゴルの恐竜化石の記載には大抵、博士の名前が載っている。
1996年から毎年、日本人のしろーとを受け入れ、発掘指導をしている。
フルンドッホにバルスボルド博士が滞在
あとで判明したことだが、1996年のツアー第3班以降は博士は毎回キャンプ地に滞在したらしい。4班なんかずーっと一緒だったらしい。
アルンチムグさん
専門は恐竜ではなく無脊椎動物らしい。3児の母である。モンゴル人の名前は発音が難しい。彼女の名前も綴りどおりに言うと「アリオンチメグ」になるが、モンゴル語では母音が曖昧になったり消えたりするので、「アルンチムグ」に聞こえる。我々が覚えられないので、本人は「アルム」でいいといっていた。しかし、モンゴル人スタッフは彼女を「アルンナ」と呼んでいたし、我々日本人もいろいろ勝手な呼び方をしていた…。
アンドリュース隊
モンゴルで初めて恐竜化石を発掘した米国スミソニアン博物館の調査隊。プロトケラトプスやオヴィラプトル、卵の化石を発見したことで有名。1920年代に3回、モンゴルで調査している。
ジャケット/石膏でかためたりジャケッティングしたり
発掘した化石を運び出す時、石膏などで壊れないように固める。小さい化石の場合は、化石全体が入るような木枠をつくり、そこに石膏を流し込んで周りの土ごと固めてしまう。この方法をモノリットというそうだ。モンゴルの発掘ではこの方法がよくとられるそうだ。
一方、石膏を浸した布などで骨をぐるぐる巻にする方法をジャケッティングという。大きい化石の場合はこの方法がとられるらしい。
クリーニング
化石は発掘地である程度掘り出したら、まわりの岩や土ごと固めて研究所に送られる。そこで、固めた石膏をはずし、残った土を取り除き、化石を取り出すのである。この作業をクリーニングといっている。
ゲル
中国では包(パオ)といったりする天幕。慣れた人々は1〜2時間で組み立てるという。これがなかなか快適なのですわ。
トゥグルグ
モンゴルの通貨。1999年夏時点で、1US$で100トゥグルグぐらい。
馬頭琴(モリンホール)
モンゴルの民族楽器で馬の毛の弦を二本張り、弓で弾く。四角い木製の胴をしており、棹の先に馬の頭の彫刻がついている。
蛇皮線(ショダルガ)
いわゆる蛇皮線とは違うものである。蛇の皮が張ってあるが、もっと大きく、バンジョーを細長くした感じ。棹はかなり長い。
ハルハ・ゴルの戦い
日本の関東軍がモンゴル国境に侵攻した戦闘。日本ではノモンハン事件といっている。モンゴル&ソ連軍と関東軍が戦って日本側が惨敗した。詳しいことは歴史書をひもといて下さい。
小林快次(よしつぐ)博士
日本の若手恐竜研究者。福井県立恐竜博物館研究職員から北海道大学総合博物館助手になって、2006年はNHKの恐竜番組の監修もしたりとおお忙し。ダチョウ恐竜をメインに研究しているそうだ。

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Last Modified: Aug. 27, 2006

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