モンゴルで恐竜発掘だい!

小さい恐竜の絵
1996年8月12日〜21日
モンゴル恐竜発掘調査サポートツアー


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発掘すとーりー

発掘初日の講義

最初はモンゴルで見つかる恐竜と化石の探し方についての講義。キャンプ地からちょっと歩いたところに図版をかけての屋外レクチャーである。講義は全てモンゴル語で日本語の通訳がつく。
恐竜の解説・前半はインストラクターのニャマ先生(本名はもっと長い名前だった)、後半がバルスボルト博士。恐竜学の系統的な話というより、モンゴルで発見された恐竜たちの特徴についての説明だった。バルスボルト博士の出番になると日本人生徒たちから質問続出。どうにも止まらない状態になる。博士は我々のしろーと質問にも丁寧に答えてくれた。ここでのお話は2日目の講義のところでまとめて紹介する。なお、フルンドッホにバルスボルド博士が滞在するのは我々の班の時だけなのだそうだ。ラッキー。
化石の探し方についてはインストラクターのハグワー先生が講師。簡単な注意事項と発掘道具の説明があった。

化石を掘り出したあとは、石膏でかためたりジャケッティングしたりするのだが、私たちはそこまでやらなかった。
ほんとに大雑把な説明だったので、この後しろーとたちは苦労することになるのであった。
現場の写真レクチャーを受けた場所の近くには露出した化石がある。我々より前の班が見つけたものだそうだ。それを見ながら化石の産状についての説明を受ける。
(写真:イグアノドンの化石の前で。左はニャマ先生と通訳のトゥヤさん)
説明を受けている午前中は曇天でやや涼しく、虫よけに風上で家畜の糞を焚いていた。それでも、蚊よりももっと細かい虫と小さな蝿がぶんぶん寄って来る。草原は気持いいのだが、この虫たちには閉口した。放っておくとこの細かい虫がチクっと刺すのである。蚊やダニにやられた時ほど痒くはないが、刺されるのはいやなものだ。虫よけ剤もこいつらには効かないようだった。

第1現場

化石の写真初日の午後からいよいよ発掘。第1現場は午前中の講義があったあたり、すなわちキャンプのすぐそばである。ここでは前の班がイグアノドンカンプソサウルスなどを見つけていた。中生代の湖岸ということで、水に流されたような化石が出る。但し、さほどバラバラになっていないので、河に流されて、というより湖のほとりで死んだものという感じである。
(写真:前の班が見付けたカンプソサウルス)
風景写真
(写真:地形はキャンプ地から南に緩やかに下っており、雨で削られた浅い溝がいくつかある)

1日目、しろーと集団はそのしろーと振りを如何なく発揮した。やみくもに穴を掘る者、崖を崩しまくる者、家畜の骨を拾って来る者…。第1現場は盗掘跡のようになった。
私はといえば、化石と石の区別がつかず、怪しそうな表面に出っぱっている石をつつきまくっていた。ちょっとつついて、先がつながっているようだったら化石かもしれないと思ったのだ。実は私、2年前中国・新彊のジュンガル盆地で化石ハンティングの要領を習ったことがあった。しかし、草が生え小石のちらばるここはジュンガル盆地とは勝手が違い、化石の見分け方もすっかり忘れているありさまだった。
この第1現場では白い地層のなかに帯状に黄土色の層があり、これがまた化石っぽく見えてしまう。この層は堆積した地層ではなく、あとから水が染み込んでミネラル成分がたまった層らしい。ツアーメンバーで地層に詳しめの人が教えてくれた。そういわれてみると、斜面と同じ角度で傾いている。でもついつい、この黄土色の塊が怪しく見えて、つついてしまうんだな、これが。
かくして、我々は「一箇所を掘ってちゃだめ」という教訓を得て、1日目の発掘を終えたのであった。(もっと早く教えてくれよぉ)

雨天につきゲル内講義

2日目の朝は雨だった。発掘は中止になり、食堂に使っているゲルの中で講義が行われることになった。講師はバルスボルド博士。特に南ゴビ、いわゆるコビ沙漠での化石の産状とそれからわかることのお話だった。
モンゴル出土の化石の特徴は、

といったことである。初日とこの日の話の中で興味深かった部分をまとめてみよう。

ハルピミムス
歯のついているダチョウ恐竜。ダチョウ恐竜は一般に歯がない。しかし、ハルピミムスの下顎には歯がついており、祖先的特徴を持っている。ダチョウ恐竜の進化を追うのに重要な化石である。
ご存知のように、中生代にはベーリング海峡が陸続きだったことがあり、恐竜が大陸間を往き来した。プロトケラトプス角竜の祖先形として有名で、モンゴルから北アメリカへ渡って行ったと考えられている。ハルピミムスの発見で、博士はダチョウ恐竜もモンゴルから放散していったという見方をしている。
タルボサウルスとティラノサウルスの類縁関係について
タルボサウルスはティラノサウルスにそっくりな肉食恐竜。細かい特徴は若干違うが、研究者以外は見分けがつかないほどよく似ている。両者は発見される地質年代もほぼ同じであり、祖先はジュラ紀のアロサウルスと共通だったと考えられている。(アロサウルスそのものは祖先形ではなく、別の枝ということ)で、アロサウルスだが、今の所アメリカ大陸で多く見つかっており、モンゴルでは出ていないらしい。角竜やダチョウ恐竜とは逆に、タルボサウルスはアメリカ側から放散していったのか?モンゴルではジュラ紀の化石があまり出ていないのでそのあたりはまだ不明ということらしい。
モノニクス
鳥にそっくりな胸骨を持っていると話題の小型獣脚類である。「鳥が地上に降りて恐竜になったやつ」という説を唱える学者もいるが、博士はそうは考えていないようだ。「鳥の特徴を持った恐竜」と力説していた。解剖学的特徴からいうと恐竜になる、という見解である。胸骨あたりの特徴も1本指の前肢を強力するために独自に発達したもので、あの前肢は翼の退化したものではないという。ただ、何のための1本指か、というあたりは正直、うまい仮説が立っていないようだった。
恐竜から鳥への進化
恐竜は先祖の持っていた鎖骨を消失しており、鳥にはある。「恐竜→鳥」進化説の反対者がよく指摘する事項である。モノニクスの鎖骨は見つかっていない。オヴィラプトルには薄い鎖骨がみつかっているそうである。鎖骨というのは化石になりにくいのだろうか?博士は探せばモノニクスの鎖骨もでてくるだろうといっていたが。
ちょっと私の勉強不足なのだが、疑問をひとつ。鳥の足跡化石は白亜紀前期にすでに出現しているのではなかったか?すると、白亜紀後期の小型獣脚類が鳥に進化したとは考えにくく、鳥の先祖はもっと古い時代の獣脚類に求めなければならない。私は漠然と「恐竜が鳥になった」と思っているが、白亜紀前期に鳥がいたとすると、白亜紀後期のモノニクスは鳥への発展途上の生き物ではなく、もっと別の収斂進化の賜なのだろうか。(このあたりを博士にきいてみる余裕がなかったのが残念)
ま、ともかく、博士は「恐竜→鳥」進化説派、恐竜温血説派であるらしいことが言葉の端々に感じられて(通訳を介しているので不明だが、ずばりそうだとは言ってなかったようだ)、ツアーメンバーの恐竜フリークはうれしがってるのであった。
プロトケラトプスの巣穴生活
動物の化石は大抵、横倒しになった状態で死んだものである。ところが、モンゴルのプロトケラトプスは4足で立ったままの状態の化石が多く出る。これは、プロトケラトプスが立ったままで埋まる状況で死んだことを示す。沼にはまったか、砂に埋もれたか。で、産出する地層の特徴からプロトケラトプスは砂丘に住んでいたと考えられている。
かの有名なプロトケラトプスとヴェロキラプトルの格闘化石、諸説フンプンだったようだが、博士は「巣穴に逃げ込んだプロトケラトプスをヴェロキラプトルが追っていって巣の中で暴れたために、穴が崩れて2匹とも埋まった」と見倣している。この他にも、皆同じ方向を向いて並んでいるプロトケラトプスの子供たちの化石なども出ており、砂から脱出しようともがいた形跡がないことなどから一瞬にして埋まったと考えられ、博士は「プロトケラトプスは砂丘に巣穴を掘って住んでいた」という説を唱えている。
卵を抱くオヴィラプトル
卵を擁した巣の上のオヴィラプトル、という化石がゴビで4つも見つかっている。このことから、オヴィラプトルは当初みなされていたような「卵泥棒」ではない、といわれるようになった。
このオヴィラプトルも砂嵐で埋まったにしては、脱出の形跡がなく、博士は「巣穴生活していたのでは」といっている。内モンゴルで見つかった砂に埋まったピナコサウルスの子供たちは仲間を押し退けて脱出しようとした形跡がみられ、こいつらは砂嵐にあったと考えるのが妥当だと思う。オヴィラプトルを鳥と読み変えた時、砂嵐から卵を守って生き埋めになるという状況は考えにくいのではないか。砂嵐だとしたら、ピナコサウルスと同じように脱出を試みるのでは?私にはオヴィラプトルも巣穴説が妥当に思えるのだが。

第2現場

風景写真発掘2日目は午後になってなんとか晴れて、第2現場と第3現場に行くことができた。
第2現場は数キロいったところで、我々はバスで移動した。ここは恐竜の足跡化石があり、二枚貝がよく出て来るところだそうだ。イグアノドンのバラバラになった化石も出ている。
(写真:茶色っぽい地層。雨の流れ落ちる崖なので土が軟らかく小石が多い)
この場所での収穫はあまりなかった。やはり我々は貝より恐竜に興味がある。気合いの入り方が違ったのかも知れない。

第3現場

第3現場は第2現場からちょっといったところ。あとでわかったのだがキャンプから結構近い。バスで移動しているとどうも距離感、方向感覚が狂ってしまう。ここは白い地層で第1現場に似ている。翼竜の化石が出たらしい。
ここでメンバーの一人が魚の化石をみつけた。ばらばらになった化石のかけらはいままでたくさん拾っているが、インストラクターに掘ってもらう価値のあるつながった化石というのは初めてだった。これぞ、という化石が見つかると、紙に名前と日付などを書いて竹串で旗を立てる。見つけたのはメンバー最年少の高校生あきちゃん。本人は淡々としていたが、初めて立った仲間の旗に、私はうれしいやらほっとするやら。
どんな種類の魚かは、もっと掘ってみないとわからない。モンゴル側スタッフが今後掘り進めて、わかったら連絡をくれるとのことだった。(我々が目にした前の班のカンプソサウルスにしても、見つけた本人は掘り出されたところを見る前に帰国している)
風景写真(写真:いかにも化石が出そうな地形なのだが…)

第4現場

発掘3日目は最終日である。夕食後にチョエルへの帰途へつかなくてはならない。我々はまだ恐竜を見つけていない。ちょっとあせりに似た気持が渦巻く。
第4現場もバスで移動した先で、プシッタコサウルスが出たところだった。
現場の写真
(写真:なにかあったぞ、と掘ってもらってるところ。プシッタコサウルスの足の骨が出たが、残念ながら他の部分は出なかった)

ここではメンバーのごまちゃんとたじまさんがカメの化石が見つけた。ここにも旗が立った。皆さん腕をあげてきたようだ。
実は、私、前日の夕食前のひととき、目を養うべく、第1現場に赴いて化石と思われるかけらを集め、夕食時にニャマ先生に見てもらったのだった。そのうち1/3は石、残りのやつの1/4は植物化石だった。よし、これで、と思ったのだがどうも現場ではその勘どころが蘇らない。角竜ファンの私にとってプシッタコサウルスというのはとっても気になる存在である。私はなんとしてでも化石を見つけたかった。でも残念なるかな、何も見つけることができない。現場を去る時は後ろ髪引かれる思いだった。

再び第1現場

現場の写真最終日の午後は自由時間。植物化石の出るところへ出かける組と第1現場で化石探しをする組に分かれた。私は未練たらしく第1現場をうろついた。
ここで、再びたじまさんがカメを見つけ、ごまちゃんが今度はカンプソサウルスを見つけた。
(写真:3つ目の旗、カンプソサウルス。恐竜じゃないけど、中生代の生き物だぃ)
最後にカンプソサウルス発見というメンバーの大挽回があった。しかし、おそらく今回のメンバーでは1、2を争う恐竜フリークである私は何の収穫もなく発掘地を去らねばならなかった。安楽椅子の恐竜ファンは現場では役に立たない。残念だ。でも楽しかった。また挑戦したい。今度は本格的な沙漠、南ゴビへ!

というわけで、発掘の話はこれで終り。で、私からのお願いです。今回のような化石探し役でなく、穴掘り人役でもいいです、恐竜発掘やらせて下さい。非力なので人足には使えないかもしれません、参加期間も短いです。でも、そんな人間を受けいれてくれるところがあったら是非知らせて下さい。 また、どなたか、そんなツアーを企画して下さい。これから来シーズンに備えて資金を貯めます。体も鍛えます。どうぞ、よろしくお願いします。

このあとまだモンゴルの話は続く→


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Sep. 10,1996
Last Modified: Sep. 18, 2001

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