モンゴルで恐竜発掘だい!

小さい恐竜の絵
1996年8月12日〜21日
モンゴル恐竜発掘調査サポートツアー


←発掘すとーりーへ戻る

ゲル生活

キャンプ地の写真

日課

ゲル内の写真たった3日間ではあるが、草原でのキャンプ生活は素敵なものだった。
(写真:ゲルの中。中央にテーブル。まわりにベッドが5つ)

日の出:7時ちょっと前
モンゴルは日本より西にあるのに時差がない(夏時間だったのかも)。ゆえにゆっくり起きても朝日が見れる。遠くの丘から昇る朝日は卵の黄身のようだった。黄身といっても、モンゴルで食べた卵の黄身は日本で見るやつよりずっと色が薄い。そして朝日の様子はその卵の黄身にそっくりなのであった。
朝食:7:30〜
ロシアの黒パンの小さいやつみたいなの、バターとジャム、サラダとハム。朝御飯はだいたいこんなかんじ。紅茶、インスタントコーヒーはセルフサービス飲み放題。
食事時は2つの食堂用ゲルに各自自分の椅子とカップを持っていく。椅子は宿泊用ゲルに置いてある小さい木のスツール、カップは各自が日本から持参したやつだ。キャンプだというのに食事は上げ膳据え膳で、モンゴル側スタッフが全て準備してくれる。皿洗いぐらい自分達でやってもよかったのにと思うが。楽させてもらってありがとう。
朝のくつろぎタイム:〜9:15
午前の発掘に出かけるまで約1時間のフリータイムがある。いろいろ身支度してなお残る余裕の時間は各自思い思いに過ごす。朝のうちは雨が降っていることも多く、結構寒い。
午前の活動:9:15〜12:00
発掘したり講義を受けたりしていた時間。
昼食:13:00〜
お昼にはいつもスープが出た。羊の肉をベースにコンソメタイプ、クリームタイプと色々で、これがまたうまい!毎日楽しみだった。1日のうち、一番充実しているのがお昼ごはん。肉料理、まんとうの皮(中華萬の皮みたいなもの)なども出てくる。
昼のくつろぎタイム:12:00〜13:00、〜15:00
昼食の前後にこれまた約1時間ずつのフリータイムがある。ゲルの外に椅子を持ち出してぼーっと座っている、そんな過し方をする輩が多かった。他には絵はがきを書いたり、スケッチしたり。日中、陽が射すと結構気温が上がる。それでも乾燥しているので、心地よいのだ。
午後の活動:15:00〜18:00
発掘している時間。
夕食:19:00〜
夕食は軽めである。男性にはちょっと物足りなかったかもしれない。
モンゴル側スタッフのうち先生方と通訳の人たちはいつも我々と一緒に食堂ゲルで食事をしていたが、キャンプの世話をしてくれているスタッフや運転手さんたちは別のところで食べていたようだ。で、会話はモンゴル語と日本語。我々が先生方とお話しようとすると、通訳の人は食べる暇がなくなってしまう。お話したいことは一杯あるのに、ダイレクトに話せないのがもどかしい。「こんにちは」「ありがとう」「おいしい」くらいの単語は覚えたが、モンゴル語会話への道は遠い。モンゴルの人はロシア語ならできるはずだが、そっちはもっと遠いのだった。
日没:21時くらい
夕方のフリータイムは散歩に出る人も結構いた。散歩といっても何があるわけでもない。第1現場方面をうろうろしたり、北側の丘に登ってみたり。暗くなると星座タイム。この件についてはまた改めて。
消灯:23:00
各ゲルには裸電球が1つ、太いロウソク1本と強力懐中電灯が装備されいてた(蚊取り線香もあった)。発電機が23時で止まる。夜中になると遠雷が見え、風が吹いてきて明け方には雨、というパターンが続いた。

今回の楽しみの一つは満天の☆である。ちょうど、私たちの行っている時期は月のない夜だった。天の川もばっちり、地平近くまで星があり、さそり座だってくっきり見えるのである。ペルセウス流星群の時期はちょっとはずしたが、それでも結構流れ星ってあるものだ。ゆっくり移動する人工衛星もたびたび目にした。一番星が木星だというので双眼鏡で覗いたらちょっとした縞が見えた。
最後の晩にはツアーメンバーあべさんの星座教室があった。中学以来、まともに星座の勉強をしたことの無い私にはありがたい存在だった。おかげで双眼鏡を使ってアンドロメダ星雲なども見ることができた。天の川の南側の太いほうが銀河の中心だとか、いろいろな話を聞いて眠っていたSF魂が蘇る。
帰国してから知った話だが、来年3月にはモンゴル、シベリアあたりで日食があり、けっこう大きな彗星も見れるとのことだ。3月といえばまだまだ極寒といえる時期ではあるが、モンゴルのあの空なら彗星を見に行く価値はあると思う。あなたが天文ファンならここは一発いかがです?

トイレ

秘境(というほどの場所でもなかったが)と聞けば気になるのがトイレ。このキャンプ地では決められた場所にすることになっていた。その決められた場所とは…。
トイレ近撮穴を掘って板を渡し、コの字型に囲う。キャンプ地の端にそれらが間隔を置いて4つ並ぶ。囲いは立つと男性なら胸から上が出るくらいの高さ。当然、使用中はコの開いた側を人が通ってはまずい。ゆえに、使用中は旗を立てる。囲いの外にはシャベルが置いてあり、必要に応じて上から土をかける。これは蝿防止に有効なようだ。
(写真:これがトイレだ!)
最初は「をを」と思ったが不思議と匂わない。その昔の日本のほりほり便所よりよっぽど快適だ。ただ、日中だと蝿が寄ってきていまいちくつろげない。気温が下がる朝夕だとなかなかのものである。ちなみに、私は北京・ウランバートルと滞っていたが、草原では極めて快調だった。

日蒙歌合戦

フルンドッホに到着した最初の晩は日蒙交歓バーベキューパーティー&キャンプファイヤーだった。バーベキューパーティーのほうはお互い簡単な自己紹介をし、歌を2曲づつくらい歌って終わったが、キャンプファイヤーは妙な盛り上がりを見せ、11時過ぎまで続いた(おかげで消灯時刻が少しずれこんだ)。
第3班の添乗員さんはなんとキャンプフリークだった。チョエルに向かう列車の中で彼女の指導のもと、一部の人達はひそかにその夜のイベント向け歌の練習をした。『きゃんぷだほい』という遊戯(?)も覚えた。
さて本番、キャンプファイヤーの最初は日本人だけの輪だった。その間に『きゃんぷだほい』の特訓をする。モンゴル側スタッフも加わってからはまた歌の交歓会。スタッフにギターの弾けるおねーさんがおり、モンゴル語のポピュラーソングをみんなで歌ってくれる。日本人側にもギター弾きがいたのだが、全員がちゃんと最後まで歌詞を覚えているレパートリーが少なくいつも尻すぼみになってしまう。そこは例の『きゃんぷだほい』で挽回、このあと、数種類のゲームをやって盛り上がり、夜は更けていった。
私は中学時代の野外活動やキャンプなど大嫌いなくちだった。馬鹿馬鹿しいと思っていた。しかし、大人になった(?)今は楽しめる。最後の日などはお別れのフォークダンスまでやってしまった。メンバーに小学校の先生がいて彼が指導してくれたのだが、さすがにこの練習の時はさぼってた。フォークダンスはキャンプより嫌いだった。その余波だろう、まだ大人になりきっていないのかもしれない。

続く→


[↑]トップへ戻る

Sep. 10,1996
Last Modified: Sep. 18, 2001

Copyright(c) Nekomatagi, 1996-2001