小さい恐竜の絵
1996年8月12日〜21日
モンゴル恐竜発掘調査サポートツアー


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観光もしました

自然史博物館

もちろん目玉は恐竜化石である。その他の展示もあるのだが、私は恐竜のところしか見なかった。展示スペースは広いとはいえない。タルボサウルスのいるホールの他に細長く広い部屋が1つ。ホールを除くと上野の科学博物館の1階入り口の両翼ぐらいの面積である。
北京からウランバートルに着いた次の日の午前中がこの博物館のガイドツアーだった。博物館の古生物部長(?)にあたる人が展示物の説明をモンゴル語でしてくれて、通訳がつく。説明内容は恐竜フリークにとって既知の事柄がほとんどだった。この日、バルスボルド博士も来ており、最初は遠慮していた我々もやがて質問攻めに。途中から説明員の人の出る幕がなくなってしまった。
主な展示物は次の通り。

恐竜の卵の化石
いろいろな形のものがある。
プロトケラトプスとヴェロキラプトルの格闘化石
群馬県中里村にいくはずだった化石はここにあった。ガラスのケースに入っていて、四方から見れるようになってる。2匹の恐竜はしかり組み合っていた。私の目からはもみ合っている最中に埋まったとしか思えない。
プロトケラトプス、サイカニア、謎の竜脚類の骨盤
1920年代のアンドリュース隊の発掘したやつがほとんど。竜脚類は何という種類か何度か尋ねたのだが、「サウロポッド」という返事が返ってくるだけで、よくわからなかった。
タルボサウルス
全身骨格が2体。1体は上野にあるやつと同じスタイル(だと思う)、もう1体はかがみ込んだスタイルだった。
サウロロフス
全身骨格が1体。で、でかい!タルボサウルスよりでかい。恐竜の体長というのは本で何度も目にしているはずだが、ハドロサウルスがあんなにでかいものだとは思いも寄らなかった。皮膚の印象化石もあった。
デイノケルス
改めてでかい手だと思う。バルスボルド博士の一番見つけたい化石はこいつの体の他の部分だそうだ。
オヴィラプトル、ガリミムス
ガリミムスには何故か首がなかった。中里村に来ていたやつは首がついていたと思うが。オビラプトルは見ればみるほど顔が細い。

総じて、展示物は古めで、最新の発見物は置いてなかった。ハルピミムスやモノニクスは中里村に来てるし、巣と一緒のオビラプトルも見あたらなかった。

ガイドツアーのあと、博物館の裏手にあるクリーニングをしているラボの中を見せてもらった。(前の二班はここを見ていないらしいが)。ラボといっても長屋の一室のようなところで、中にはクリーニング中の化石がごろごろ。腱が残っている珍しい鎧竜の化石もあった。私にとってはガイドツアーよりこっちのがおもしろかった。機会があればクリーニングのアルバイト(ボランティアでもよい)をしてみたい。

ガイドツアーではゆっくり展示物が見れなかったので、フルンドッホから帰った後、ウランバートルでの自由時間に再度博物館に足を運んだ。その日は何故か電力供給状態が悪く1時間ごとに停電しており、博物館もチケット売りを休止していた。ちょっと近くの本屋を探して時間をつぶしをした。
恐竜展示の部屋は窓があるので、実の所、電気がつかなくても見学に支障はなかった。でもとにかく電気がついてからチケット代350トゥグルグを払って中に入った。モンゴルの博物館では写真撮影に別途お金がかかる。タルボサウルスのホールで5ドル払い、写真を撮りまくって帰ったのであった。

その他の博物館

今回のツアーにはモンゴルの文化を学ぶ研修という名目がある。で、どこの博物館にいっても説明つきのガイドツアーであった。
ボグドハーン宮殿
宮殿というが、その実態は寺が博物館化したものである。偉いお坊さんの住んでいたところなので、宮殿というらしい。通訳のチェチェさん(本名はもっと長い名前)がガイドをしてくれた。彼女はラマ教文化関係には強いらしい。
美術館
美術のメインはやはりラマ教関係。その他、先史時代の洞くつ絵やトゥルク系文字の碑文などもあり、博物館ぽかった。係りのおねーさんがはじめのうち英語で説明してくれたが、英語だけじゃ困るメンバーもいるので、途中からモンゴル語の説明+通訳となった。あとで聞いてみたらおねーさんは大学生だった。かわいかったので一緒に写真をとってもらったりした。彼女は写真をとても欲しがっていた。そういえば中国でよく見る観光地の写真屋をモンゴルでは見ない。写真は珍重される品のようだ。
民族歴史博物館
遊牧民の生活道具から近代の戦争遺品まで。チェチェさんがだいたい説明し、質問が出ると係りの人が説明+通訳となる。
楽器の展示もあった。観光客用民族音楽公演を見に行った時、馬頭琴弾きは男性ばかり、蛇皮線弾きは女性ばかりで不思議に思ったのだが、そういうものなのだそうだ。

買物事情

民主化以来、モンゴルはインフレ、モノがない状態なのだそうだ。買い物するといってもそんなに選択肢があるわけではない。みやげものはとにかく外貨ショップ、モンゴル特産カシミアは日本で買うより安いといっても、気安く買えるほどには安くはない。地元のスーパー(?)にいっても加工食品は輸入品が多い。
風景写真地元の人々の御用達といえば、道に並んだキオスクのような屋台であろう。菓子や煙草が並んでいるのだが、よくみると米や野菜も売っている。さらによく見ると歯磨きなども売っている。こんなところで個人商店が活躍しているというわけだ。
(写真:キオスクのような屋台。朝なのでまだ閉まっている。ごめん)

ウランバートルは首都なのだが、立派な公共の建物があるわりにどこか寂しいと思っていた。まあ、ここは日比谷か丸の内か、と思えばそんなものなのだろうが、大きな原因は普通の店構えの店をあまり見ないかららしいと思い至った。もちろん、デーパトとかスーパーとかいわれるところはあるし、一歩踏み入れば本屋も床屋もある。が、デパートは別にしても、他の店は踏み入らないと何の店かわからないのだ。(実は、私は本屋に入るつもりが床屋に入ってしまってあせったことがある)問題は看板とディスプレーにある。それでも外国資本(特に韓国)と思われる店は横断幕がかかっていたりして華々しい。モンゴルはこれからますます自由経済化に拍車がかかるだろう。今後1〜2年で街の趣も大幅に変わるかもしれない。

その他

風景写真
(写真:ザイサン・トルゴイから見たウランバートル市街)

ザイサン・トルゴイ
ここは戦勝記念碑のある丘。ウランバートル郊外にあり、街が見渡せる絶好のポイントである。
壁画の写真丘の上には記念碑があり、ぐるっと取り囲んだ壁画がある。この壁画、かつてのモンゴル人民共和国成立から未来へ!みたいなテーマらしい。笑っちゃいけないんだろうが、やらせっぽくて笑える。戦勝記念のほうは1920年代からのいくつかの戦いの碑がある。1939年のハルハ・ゴルの戦いのやつもあった。ま、そんな戦いの記録とは無縁な感じののどかな丘で、我々の他にも韓国人のグループが見物に来ていた。
(写真:社会主義賛歌みたいな壁画)
ガンダン寺
社会主義時代にモンゴルの寺院はほとんと閉鎖され、現在では4つしか残っていないそうだ。その中でも2つは博物館になり、残る2つの寺院だけが宗教活動をしている。ガンダン寺はその宗教活動を続けている寺の1つである。その規模は見たところ、日本でいうと「近所の寺」という感じだ。地元の人が小屋のまわりに座っている。お経をあげてもらうのを待っている人達とのことだった。
散歩
団地の写真ウランバートルでの日程も比較的ゆったりしていたので、朝食後、夕食後などそのへんをふらふらと散歩に出た。街の人はだいたい集合住宅に住んでいる。昔懐かしい感じの団地から最新のマンションまでいろいろである。中心部から少し離れるとバラックのような小屋もあるが、そう多くはないようだ。
(写真:昭和40年代を思わせる団地。ブランコなどの遊具もある。)

終わりに

一応、これで話はおしまいである。最後の北京の夕食会で誰かが「こういうツアーこそグループでいく価値がある」といっていた。我々第3班は親子1組を除いて他はみな単独参加だった。添乗員さん曰く「ふつうは個人行動だが、何かやるよというと羊のように集まってくる」。こんな仲間だったから楽しさ20倍だったのかもしれない。改めてメンバーにありがとうといいたい。
それから、ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。
私は一介の恐竜ファンで研究者ではない。なにか記述に間違いがあったらご指導願います。それから、この旅行に参加した他のメンバーもホームページを開く予定があるらしい。出来次第リンクしたいと思うので、その節はよろしく。
では、では。

***おしまい***


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Oct. 29,1996
Last Modified: Sep. 18, 2001

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