1997年8月7日〜20日
荒野でのキャンプときいて一番気になるのはトイレである。去年のフルンドッホでは、ちゃんとトイレスペースが用意されていた(野ざらしではあるが)。今年のツグリギン・シレにはなかった。で、これが結構つらかった。なにせ、台地の上はシレ(机)というその名のとおり平らなのである。そして、崖下は発掘地である。どこですればいいのさ!
結局私は、台地の上を300m位歩いた先の潅木の陰とか、発掘に降りていきそうにない崖の下で用を足した。台地の上は、テントの外に人が出ていない時を見計らって、崖の下は先客や後続がいない時を見計らって…。
ちなみに、洗顔には仮設洗面台を使った。上の部分に水を入れて、蛇口から水が出るようにし、下にバケツをおいて水を受けるのである。同じ物をボルガンの町でも見たので、このあたりの定番商品なのかもしれない。
(写真:砂嵐時、ゲル内に一時退避していた洗面台。通常はゲルの外におかれていた。)
キャンプで2番目に気になるのは食事である。もっとも私はあまりにも好き嫌いが多いので、食事内容を心配したことはない。…メニューなんて出たとこ勝負だから…。それに粗食にはめっぽう強い。なんたって、平日の夕食はカロリーメイトなんだから、コックさん付きという今回のキャンプで心配することなんかあるものか。
と、話がそれたが、メニューはホテルで食べてるようなやつと基本的にはかわらなかった。
おかずの肉料理のかわりにチャーハンやスパゲティが出ることもあった。近くのボルガンでは潅漑農業をやっているので新鮮なキュウリ、トマトなども出てくる。今回は、最初に牛を1頭、屠ったということで、ずーっと牛肉だった。ちょっと羊が食べたくなった…。
最後の夕食はヤギ肉の石焼きの予定だったらしいが、肉を運んでくる車がスタックして夕食に間に合わなかった。ガイドのチェチェさんによると、石焼きっていうのは結構なご馳走であるらしい。逃したのは残念だった。遅くなって到着したヤギ肉は次の日のスープになった。羊のような臭さはないが、油っぽい。
(写真:ヤギ肉を干しているところ。何故かしっぽの毛が残してある。)
ゲルは2棟で、私はアルンチムグさん、チェチェさんと同じ方のゲルで生活していた。バルスボルド博士とオユンナさんもこちら。食事は各ゲルでする。当然、こちらのゲルのテーブルトークはモンゴル語。これがまた博士が話し好きでよくしゃべるのだ。食事のあとも延々と話が続く。時々、オユンナさんが通訳してくれるのだが、何を話しているかわからない私は中座のタイミングもはかれず、ずっとモンゴル語のシャワーを浴びていることとなった。
実は私は4月からカルチャーセンターのモンゴル語講座に通っていた。去年は全然わからなかったモンゴル語が少しでもわかるようになればと。結果は悲惨なものだ。言える言葉は去年と同じ、「ありがとう」「こんにちは」「さようなら」。スタッフ間の会話は全く聞き取れない。時々入る通訳によると、私の知っている単語も使っているはずなのだ。どういうことだ!よく、広告で見かける「英語のシャワーを浴びるとあなたも知らぬうちにぺらぺらに」ってのはきっと嘘だ。ある程度下地のある人でないと、シャワーを浴びても立て板に水(←でいいのか?)である。ひとかけらの意味も入ってこない。まだまだ修行が足りない、あとどのくらい修行すれば…。
ここでいきなり余談だが、発掘を終えてツーリストキャンプに戻ったら、なんだか見たことのある日本人が…。なんと、カルチャーセンターで一緒にモンゴル語を習っていた人だった。奇遇と言えば奇遇だし、世間は狭いといえば狭い。夏場のウランバートルでモンゴル・フリークに行き会うことはあるだろうとは思うが、お互いに一泊しかしない南ゴビで遭ってしまうとは。
最終日は私たちが立った後にキャンプ地をたたむという予定だったが、ゲル解体を見たいという我々の要望に応えて、1棟だけ先に解体をはじめた。これがあれよあれよという間(20分くらい)にこのとおり。このあともいろいろ片づけがあるので、キャンプをたたむには2時間かかるといっていたが、いやぁ…。
1.屋根のシートを剥がす。人が屋根にのったくらいではびくともしない。 |
2.側面の布を剥がす。 |
3.天井の張りを1本ずつ抜いていく。 |
4.家具だけが残ったところ。壁は蛇腹になっている。 |