再び、南ゴビで恐竜発掘

ピナコサウルスの絵
1998年8月10日〜21日


手配道中発掘前半発掘後半終幕


発掘5日目

 今日あたり、砂嵐でお休みにならないかな、なんて密かに期待していた。でも、砂嵐はこない。風が少しでてきて蚊を追い払ってくれる。まあ、それだけでもありがたい。今日からは車もないことだし、と歩いてアラグ・テグへいった。ただ、Minewさんだけは、自分の見つけた第2現場の小プロトケラトプスが気になって、一人でシレまで掘りにいった。

[ハドロ現場] アラグ・テグでは、私は他4名と去年のハドロサウルス(?)の続きを掘ることにした。どこまで埋まっているのか見定めるための続きである。でも、骨はぼろぼろ。あまりものになりそうもない。
 ハドロサウルス発掘隊は独自の化石を見つけることをあきらめた私、がっちゃ、ゆーこさん、よしこさんの4名+バタムさん。掘っていて骨の続きが出てくるのがうれしいのだ。しかし、このハドロサウルス、なかなか見分けがつけにくい。おおよそ紫になっているのが化石なのだが、紛らわし土壌が結構混じっているのだ。夕方まで掘り続けたが、あまり進展しなかった。

[P現場] 一方、Pさんはピナコサウルスの子供らしき骨を発見、Pantheonさんはピナコの見事な足を発見。Pantheonさんのやつは、初日にバルスボルド博士に見せたら、好きなようにしてよいといわれたジャンクだったのだが、掘っているうちに足の爪までくっきり出てきたのである。壊している場合じゃなかった。あわてて掘り崩した土の中を漁る羽目になっていた。(写真:P現場)

 Minewさんは自分のみつけたものがモノニクスじゃないか、という淡い期待を抱いていた。みんなも期待していた。しかしシレから戻ってきた彼の話によると、なにか見慣れた太い骨がでてきてしまったらしい。見慣れた、そう、ここで見慣れたといえば、プロトケラトプスである。ご本人はもっと掘ってみたそうだったが、翌日はアラク・テグでジャケッティングの手伝いをすることになった。

 この日、オユンナさんと入れ代わりでチェチェさんが来ることになっていたのだが、あらわれなかった。代わりにバタムさんが我々の生活面の面倒もみてくれた。但し、コミュニケーションは英語である。実は、添乗員もどきの私、バタムさんから「魚料理はどうか」という提案をうけたのだが、密かに却下したのだった。新鮮なものではないというし、私は魚が嫌いである。…食べたかった人もいたかも。ふふ、許せ。

 夜はしばし、ゲルの外で車座になって談義した。蚊に狙われやすい人の近くにいると刺されないですむ。一番の標的は最年少のゆーこさんだった。同じゲルだったおかげか、私はあまり蚊にやられていない。
 夜もふけて、ゆーこさんがゲルに戻ってしまってからが大変だった。つださん、よしこさんと3人で外で話をしていたのだが、まあ、来るわ刺すわ、掌まで刺しやがる。それから、暗闇をかさかさかさ、と動く音が…。かさかさかさ、かさかさかさと我々のまわりを遠巻きにしつつ近づいてくるようなのだ。懐中電灯で照らして見ても正体がわからない。気味が悪い。ぶんぶんとかさかさに負けて私はゲルに引き上げた。
 翌朝きいたら、かさかさは針ねずみだろう、とのこと。あんなに恐がることなかったか。

発掘6日目

 再びアラグ・テグ。PさんのとPantheonさんのをジャケッティングする。その間、うろうろしていたMinewさんはPantheon現場の近くで小さい指つき足をみつけた。ピナコっぽい。今年はMinewさんの当たり年のようだ。これも掘り出してジャケッティングすることになった。

[Pさん] 確か、前日からだったと思う、Minewさんは猫の鼻と口を描いた防塵マスクをしていた。それがバタムさんに異様に受けた。で、昼休み、私のマスクにいたちの顔を描いてもらった。Minewさんは手持ちのマスクに次々といろいろな顔を描き、おもしろがった女性陣がみんなそれを分けてもらって装着した(これが、最初のページの怪しい人々である)。中でもPさんは完全にはまっていた。あまりにもはまっているので、ふだん人の顔を載せない我がページだが特別公開しよう(右の写真)。公開にあたってのご本人の弁「嫁にしてくれる人募集。声が良くて、腕に血管浮き出てる人がいいです。」とのこと。希望者はこのページの作者までメールください。よもやま談話室に書き込んでもらってもいいです。

 さて、私がPantheonさんのやつのジャケッティングを手伝っている時、バタムさんが「大変上手」と誉めてくれた。そうかな、と思いつつ、実は心当たりがある。学生時代、似たようなことをやっていたのだ。発泡スチロールを削ったもの(削るのは別の人)に、和紙を貼ってその上に薄く粘土を貼る仕事を…。通称・和紙貼り&フォルモ(粘土の商品名)塗りと呼ぶその作業を私は得意としていたのだ。そうか、化石を見つけるのが苦手でも、腕力がなくても、手先が不器用でも、こんな特技が自分にあったのか。小物のジャケッティング=フォルモ塗りだ!
 もっとも、モンゴルの先生方は誉め上手である。バタムさんもそうだが、バルスボルド博士もやたらと誉めてくれる。誉められると我々はいい気になって頑張る。また誉められる。よい循環である。日本にいるとこれだけストレートに誉められることはないもんな。多少、よいしょであってもうれしいものだ。そして、我々は乗せられてしまうのである。うまいねぇ。

 ハドロサウルスは結局、埋め戻した。埋め戻すのに必要なカバー調達にキャンプに戻ったら、また観光客がきていた。ほとんど毎日のように客がきている。恐竜発掘を見学して、キャンプ地でお茶して帰っていく人たちもいれば、一泊していく人もいる。みんな、我々がいるから掘っている化石が見れるんだぞ。我々は観光資源、これならもっとツアー代を割り引いてほしいものだ。観覧料よこせ。
 これらの観光客はジュルチン・ゴビのツーリスト・キャンプからやってきていているに違いない。あそこでオプショナル・ツアーの斡旋でもしているのだろう。去年、ジュルチン・ゴビの社長に「来年はもっといいキャンプを設営するから日本からもどんどん来て欲しい」なんてなことをいわれて、シャンパンをごちそうになった。社長は、去年のメンバーをおぼえていたらしく、ツーリスト・キャンプに着いた時に握手されてしまった。今年は上毛さんツアーが不発で悪かったなと思っていたのだが、どうしてどうして、社長、しっかり稼いでるじゃないの。

 さて、今日はシレ最後の夜である。夕食後もだらだらと食堂ゲルにいて、アルヒと馬乳酒とラクダの馬乳酒(原料はラクダの乳で、馬乳酒みたいにしてつくったやつ)をごちそうになった。スタッフの友達も来ていて、小さい女の子がいた。案の定、Minewさんは子供と遊びに出てしまい、Pantheonさんは習いはじめのモンゴル語を駆使して、スタッフの女の子たちとコニュニケーションを図り始めた(実際は、英語だったそうだが…)。女性陣もにいちゃんを呼んで質問コーナー、少年だと思っていたにいちゃんが実は24歳ということがわかってびっくり。勢いで、せっかくだからとスタッフ全員をゲルに読んで、自己紹介大会。さらに、にいちゃんとねえちゃんが夫婦とわかって2度びっくり。後日、私のモンゴル語の先生(留学生)にきいたら、大学4年にもなると半分近くの人が結婚してしまうんだそうだ。それでも、近ごろは婚期が遅くなりつつあるらしい。

発掘7日目

[Minew第2現場] 昨晩は風が吹いていて雨も少し降ったようで、涼しい朝だった。今日はピナコの残りを回収し、掘りかけの化石を全部埋め戻さなければならない。まずはアラグ・テグへいって、石膏かけの続きをやる。
 午後になって、迎えのバスがやってきた。例のエンコバス。ジュルチン・ゴビの社長も乗っている。化石回収はそのバスを使った。ジープだとなんということもない坂もバスだと苦しそう。こんなところでスタックしたくないなと祈りつつ、シレにも行く。
 Minew第2現場は、なるほど、細いあばら骨っぽいものの横に太い骨が(右の写真)。あばらっぽいのは実はあばらじゃないのかもしれない。とりあえず埋め戻す。
 このほか、バタムさんがみつけた小さい骨の集まりを掘り出した。もう石膏がないので、そのまま持ち去ろうとしたが、くずれてしまう。うーむ、ジャケッティングは偉大だ。たとえ片面でもやっておくべきだったな。

 のんびり夕食を食べていたら、社長が早く出発しようと急かす。名残惜しい我等はもたもたしながら午後7時頃出発した。案の定、雨が降ってきた。ボルガンの町を過ぎたところで大降りに。スタックしないかと冷や冷やしていたら、頻繁に切り替えていたギヤが怪しい音を立て始め、バスが止まってしまった。と、社長が雨の中、ジャンバーを頭上に広げて飛び出していった。な、何が起こったんだ?
 我々はしばらく事態が飲み込めなかったが、どうやらバスはギヤのトラブルで走行不能に陥ったらしい。で、社長は1〜2キロ先の民家にいって、それからツーリストキャンプに助けを求めるんだと。もう暗くなりかけたどしゃ降りの草原、社長は民家にたどりつけるのだろうか?

 暗くなるとみつけてもらえないかもしれないと、バスの中でろうそくを灯すことにした。しばらくすると、雨が小止みになった。もぞもぞとトイレへいく奴等がではじめた。あたりは平らで物陰なぞ存在しないのだが、バスからそこそこ離れれば姿は見えなくなる。2〜3人でトイレツアーを組んででかければ大丈夫。
 キャンプスタッフも今日は一時里帰りするようだった。おかあさんと給仕のおねえさん二人が一緒にバスに乗っていた。おねえさんたちと、社長と一緒にきたキャンプ地見物のねえちゃんの3人がトイレツアーにでかけたようだ。しかし、真っ暗になっても帰ってこない。いったいどこへいってしまったんだろう。
 草原の真ん中なのだが、時々車がとおりかかる。運転手さんはそのたびになにか話をしていたようだが、みんなボルガンの町へ戻る方向で、キャンプ地の方向にいく車はいない。社長はどうなったんだろう。
 時間がたつにつれ、ねえちゃんたちが心配になってきた。彼女達が戻らないうちにレスキューがきちゃったらどうするんだろう?こんな真っ暗な中、戻ってこれるんだろうか?
 と、11時近くになった頃、突然、ねえちゃんたちが戻ってきた。どこで何をしていたのかよくわからないが、歩き疲れたみたいだ。取りあえず、よかったよかった。これで心配事はなくなった。トラブルにも待つことに慣れている我々は楽観していた。まあ、明日の飛行機に乗れさえすればいい。明るくなればなんとかなるだろう。

 夜中の12時頃になって、ヘッドライトが見えてきた。お迎えバスだった。やった!お迎えバスには社長と、キャンプ地見学ねえちゃんの家族が乗っていた。さすが社長、こんな前科者のおんぼろバスをよこした罪はあるが、十分罪滅ぼししてる。
 荷物と人を積み替えて(運転手さんはバスとともに居残り)出発してまもなく、また何も無いところで止まった。何事かと思ったら、荷物をもった女性が乗ってきた。その荷物というのは、なんと、料理だった。どういうことになっていたのかわからないが、我々は車中、お夜食をいただくことになった。
 ツーリストキャンプに到着したのは夜中の2時頃だったと思う。まだシャワーが使えるというので、翌朝6時に起きなければいけなかったけど一週間振りに全身を洗った。ゲルはところどころ雨漏りしていた。Pさんとがっちゃはシャワーにも入らず、ベッドに落ちてくる水滴も気にせず爆眠。隣のゲルのさなえ・よしこ・つだ組は、雨漏り対策に時間を費やしたため、寝るのが明け方4時になってしまったそうだ。ふふふ、まだ修行が足りぬとみえる。前向きな状況改善も大切だが、なるようになったまま、というのもこの地では大事なのだ。

続く→


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Oct. 16, 1998
Last Modified: Oct. 30, 2001

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