モンゴルで恐竜発掘だい!

小さい恐竜の絵
1996年8月12日〜21日
モンゴル恐竜発掘調査サポートツアー


概要

このツアー、何モン?

このツアー、いったい何モノ?新聞広告が散々出ていたので御記憶の方もあろうかと思うが、「インターンシップ・プログラム、カルチャーインターン・モンゴル恐竜発掘サポートツアー」である。何でも、モンゴル科学アカデミーのバルスボルド博士の肝入りで、今シーズンの恐竜発掘のお手伝いができるという触れ込みである。恐竜ファンなら行かねばなるまい。べらぼうに高いツアー代金などなんのその。
というわけで、私はこの夏、モンゴルへ行ってきた。このツアーは7月末から9月中旬まで毎週月曜発。我々はその第3班で20名+JTBの添乗員とスタッフ。開催を危ぶんでいた私は物好きの多さに驚かされたのだった。よく聞いてみると、恐竜ファンは半分弱。残りはモンゴルの文化や自然に興味のある人達だった。(もちろん、モンゴル&恐竜で一石二鳥という人もいる)

フルンドッホまで

目的地フルンドッホはモンゴルのゴビ沙漠の北東と説明されていた。成田〜北京〜ウランバートルと飛行機で移動し、列車で南下すること約5時間、チョエルという駅で降り、さらに車で2時間弱走ったところである。ここへたどり着くまで北京で1泊、ウランバートルで2泊している。フルンドッホに居られるのはたった3日。もっと滞在したいところだが、帰りもチョエル・ウランバートル・北京と3泊かかるので、仕方ない。
沙漠を覚悟していたのだが、現地は見渡す限り草原で、なだらかな丘が続く。高原コビ地域と呼ばれるところにあたるらしい。良く見れば点々と遊牧民のゲルがある。中生代には大きな湖があり、我々の発掘地は主にその湖岸だったところだ。

発掘サポート、その実態

なんと我々日本人旅行者の仕事は化石ハンティング。「このあたりではイグアノドンが出た」「白と黒の地層がそうだ」といった説明を受けて、ひたすら化石を探すのだ。化石らしきものを見付けたら自分では手を下さず、モンゴル科学アカデミーのインストラクターを呼ぶ。彼らがそっと掘ってみると、「これはカメだね」とか「カンプソサウルスだね」とか判明するのである。
発掘サポートというので、私は、人が見付けた化石の周りを掘るとか、土砂を運ぶという仕事を想像していた。また、陽が長いというので、夕食後も発掘仕事が待っているのではないかと思っていた。しかし、その実、労働は軽いし、作業時間も午前午後、各2〜3時間。化石探しは担当区画が決められるでもなく、皆、思い思いの場所を歩き回って好きなようにやってよいのである。「こんな楽でサポートになるのかぁ?」これが私の正直な感想であった。
インストラクターを努める先生は2人、いずれもモンゴル科学アカデミーの中堅どころといった感じの方々だった。日本人はキャンプ地に入れ替わり立ち替わりやって来る。彼らは日本人がいる間はその指導で結構忙しいが、日本人がいないインターバルの3日間に、見つけた化石の堀出しに勤しむらしい。私は発掘で一番大変なのは「化石掘り出す」ことだと思っていた。しかし、こういうサポートツアーを企画するということは、一番大変なのは「化石を見つける」ことなのだろうか?そうでなければ、モンゴル側は日本人へのつき合いで1シーズン棒に振ることになる。発掘に詳しい人がいたら是非教えて欲しい。私達は彼らの邪魔をしていたのだろうか、それとも真のサポートになっていたのだろうか?

続く→


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Sep. 10,1996
Last Modified: Sep. 18, 2001

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