ゴビ恐竜発掘ツアー2000

アンハングエラ
2000年8月12日〜20日

出発発掘観光


発掘1日目

まずは、腹ごしらえ。今回は人数が多いということで、肉はすべて羊ではなく牛であった。大人数をまかなう為には羊を何回も殺さなくてはならないという事情があるらしい。うまい羊を食いたかった私は少し不満足。(うわさでは羊嫌いのセンセイがいたとかいないとか…)

[朝食]

ご飯

朝ご飯はチャーハン(上)、昼ご飯はホーショル(下)。いずれもあっさりした味つけでうまい。
ゲルの前でまったりする犬は近所の遊牧民の飼犬らしい。
[昼食] [犬]

シャザンギーン・ゴビ

初日は、シャザンギーン・ゴビまでのロングドライブで始まった。
シャザンギーン・ゴビはフルンドッホから車で3〜4時間の地点、湖に堆積したと思われる黒い頁岩層である。時代はフルンドッホと同じ白亜紀初期にあたる。ここを調査しているのは中国の陳丕基(チェン・ペイジ)先生と中国&モンゴルの研究者。陳先生は羽毛恐竜の研究で有名な方である。バルスボルド博士はモンゴルでも羽毛恐竜がみつからないかと期待して、陳先生と羽毛の痕跡の残りやすい頁岩層を共同研究しているらしいのだ。

[シャザンギーン・ゴビ]

シャザンギーン・ゴビ

枯れた河沿いに木立がならぶ。風がかなり強い。
中国&モンゴルチームはここにキャンプを張っている。
道中等環境が厳しいというので、ここへ来たのはメンバーのうちゴビ経験者6名。天候がよかったのでさほど苛酷ということはなかったが、無理は禁物である。
往復に時間がかかるので、現地をうろつけるのは2時間ほど。さっそく瓦礫の山へ向かう。
[シャザンギーン・ゴビ]

[石版]

頁岩

頁岩は化石の印象がくっきり残るところが魅力。手でぱりぱり割れる。
下は私がみつけたトクサの化石。
[石版] [トクサ]

カイミジンコの謎

この地区を調査することで、一つ明らかになったことがある。それは、「フルンドッホは湖ではなかった」ということだ。
今年の日・蒙・中・米調査隊の大きな目的はフルンドッホの古環境復元なのだそうだ。そのため、地質学、植物学、微生物学、などいろいろな分野の専門家が集まって調査にあたっている。
東西16km、南北30〜40kmのフルンドッホ地域は従来、湖を中心とした地層だと考えられてきた。ところが、先生たちの調査によると、湖の堆積物があまりなく、湖というよりは大雨が降ったら水がたまる池のような環境だったのではないかというのだ。
その一つの手がかりが微生物オストラコーダの化石である。オストラコーダというのは殻を持ったミジンコみたいな生物で、淡水によくみられるらしい。湖だったらたくさん見られるはずのその化石がフルンドッホでは極端に少ないらしいのだ。

2つのことが考えられる。
  1. フルンドッホは湖ではなかった
  2. その時代のこの地域ではオストラコーダは繁栄していなかった
微生物専門の先生は(2)の仮説を検証すべく、湖の堆積物であることが明白なシャザンギーン・ゴビにやってきた。頁岩のかけらに虫めがねをあててのぞき込む。そして叫んだ、「Many many, Ostracoda!」(日本人なのになぜか英語;4ヶ国スタッフの共通語は英語だったのだ。米国人は一名だったが…。)
フルンドッホと同時代のモンゴルの湖にもオストラコーダはたくさんいた。フルンドッホが恒常的な湖ではなかったという強力な証拠が得られたのだった。
この年の発掘調査では、残念ながらここからは羽毛恐竜は見つからなかった。もっと南に火山灰を含んだ頁岩の層があるそうで、今後はそこも調査してみたいとのことだった。

(右はシャザンギーン・ゴビで発掘調査をしたスタッフ&我々ツアー客)

[発掘隊]

[14日夕飯] 途中、ウンドゥル・チルの村で給油して、フルンドッホには夜の8時頃に到着した。
夕飯は焼きうどんだった。
発掘2日目

午前中は雨だった。かなり冷たい雨だったので、発掘はあきらめ、ゲルの中でバルスボルド博士から最近のモンゴル恐竜関係のレクチャーを受けた。

[15日朝食] 朝ご飯はマントウ。肉まんの皮だけみたいなやつ。(左)
お昼のスープがいつも楽しみ。(下)
[レクチャー] [15日昼食]

[雨あがり]
お昼頃に雨があがった。待ちきれずにキャンプ地の前で化石を探す。

[東の現場]

化石探し

午後はキャンプから東に歩いていったところで化石探し。さっそく化石マニアでモンゴル初のK氏が化石を見つけた。翼竜の部分らしい。

夕食は中華の肉まんだった。キャンプ地で出来合いのものが出るのは珍しい。

[東の現場] [15日夕食]
発掘3日目

この日は、2日目の現場よりさらに東へ、車で移動した。

[16日朝食]

朝ご飯は揚げパン。これ、結構好きだった。

下は1時間ほどでひとりで集めた貝化石。日本で見つけたら涙がちょちょ切れるほどごろごろ転がっている。ムール貝のような形状をしている。

[貝] [貝]

[16日昼食] [16日昼食]

楽しみなお昼ごはん

お昼のスープ、最初はコンソメタイプだったのにだんだん濁ってきてトンコツならぬ牛骨ポタージュ風に。
キャンプでの調理は食材をあますことなく使うのだ。

[現場]

翼竜の歯

今年のトピックスは翼竜の歯。多い人は10本、みんなで4日間で30本あまり見つけた。4年前のツアーでは1個も見当たらなかったのに不思議だ。化石は1つ見つかると、目のつけ所がわかって見つかりやすくなるみたいだ。
[翼竜の歯] [翼竜の歯]
この歯の持ち主はアンハングエラ・タイプの翼竜だと思われる。骨格のほうは断片しか見つけなかったので詳しいことはわからないのだが、ウランバートルの博物館にはアンハングエラ風の立派な骨格が展示されており、ゴビでみつかったとかいってたような…(記憶があいまいですみません)。

ゲルの組み立て
シャザンギーン・ゴビにいっていたメンバーがこちらに戻ってきた。むこうに立てていたゲルを解体して運び、こちらに立て直す。
ゲルづくりは1時間ほどで終了。手早い。
[ゲルの組み立て]
蛇腹になっている壁を開いて、まん中に柱をたてる。
[ゲルの組み立て]
まん中の柱に屋根になる棒をさしこむ。
[ゲルの組み立て]
屋根になるフエルトを置く。
[ゲルの組み立て]
壁にもフエルトを巻き、防水布をかぶせる。

[16日夕飯] 夕食はチャーハンだった。これが結構うまかった。
ゴビにいくとしっかり3食うまい食事をとるので、毎年太って帰ってくることになる。
発掘4日目

この日でフルンドッホはおしまい。日・蒙・中・米調査隊も我々と一緒にウランバートルへ戻る。午前中に調査隊の今回の調査概要について、先生方が我々に紹介する場が設けられた。結論からいうと、来た当初聞いたとおり、フルンドッホ地域は大雨が降ったら水がたまるような大きくても短命な池があったということだ。話の概要を羅列する。

  1. 地質学面:
    • 従来、西側の砂岩のほうが東側の礫岩より新しいと考えられていたが、よく調べてみると同時代の堆積物だった。扇状地だったために粒の大きさが違ったということがわかった。
    • 湖の堆積物である頁岩がない。
  2. 植物学面:
    • 植物化石の50%以上がトクサ・シダなど水の必要な植物。
    • その場で化石になったものが多いので、川の末端の湿地だったと考えられる。
  3. 生物学面:
    • 湖ならたくさんいるカイミジンコ(オストラコーダ)が少ない。
    • 二枚貝がちゃんと二枚殻がついたまま化石になっている。生きている状態で埋まったことを示す。
    • 二枚貝の大きさの分布が小さいほうにかたよる。水位に季節変動があったと考えられる。(順調に育てば分布が大きいほうにかたよるはずなのだそうだ)
 

貝の話を聞いて、なるほどと思った。発掘3日目にむやみに貝化石を集めたのだが、集めただけで何も面白くなかったのだ。そうか、寸法を測ってサイズの分布を見るなんていう研究方法もあるわけか…。

今回はキャンプ地こそ同じだが、先生方と我々ツアー客は別行動だったのだ。先生方は我々のマニア度をご存知なく、こんなんだったら手伝ってもらえばよかったかな〜、なんていっていた。私も研究者のお手伝いができたら興味深かったのだが…。

[17日朝食]

最終日

上:朝ご飯、下:昼ご飯。  

午後、まだ化石に未練のあるメンバーは歩いて最初に翼竜を見つけた現場でさらなるかけら探しを行う。
写真は見つけたかけらに硬化剤をかけているところ。ゴビの化石はやわらかいので、硬化剤をかけておかないとモロモロになってしまうのだ。

[17日昼食] [まだ掘る]

[荷物]
みんなの荷物がトラックに積まれる
[洗面台]
お世話になった洗面台
雷雨

我々が出発する頃、西の空で激しく雷が鳴りだした。出発直後には雷雨に。我々はどしゃぶりと雷に追われながらチョエルに向かった。ひた走る車の左右で稲光。かなり恐い体験だった。
チョエルに着いた頃には雨はあがっており、我々は駅で待つ寝台列車の客車に乗り込んだ。夜中にウランバートルへ向かう列車がここを通るので、それに連結されていくことになっているのだった。

続く→


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Dec. 21, 2001
Last Modified: Dec. 28, 2001

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