南ゴビ恐竜発掘ツアー

プロトケラトプスの絵
1997年8月7日〜20日


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自然史博物館

 なにはともあれ、博物館へ行く。モンゴルへ到着した日にそそくさと出かけていった。泊まったバヤンゴルホテルから徒歩で十数分くらいだ。
[写真:博物館] 入場料は600トゥグリグ。去年の倍近い。おまけに、ここの恐竜たちは出稼ぎにいってしまってて寂しい。格闘化石とサイカニアは中里村だし、オヴィラプトルもイギリスかどこかへいっているらしい。ここにあるはずのプシッタコサウルスは去年も見れなかったが、今年もなかった。数少ない残された目玉であるデイノケイルスは何故か壁から外されて部屋の奥の方にころがっている。だがしかし、タルボサウルスさえいれば、モンゴルに来た気になる。大きいことはいいことだ。

ラボ

 発掘地から帰ってから、自然史博物館の隣のラボを訪れた。ハンドキャリーだったウダノケラトプス(?)としっぽのかけらを届けるのが主な目的だ。去年より少しすっきりした感じのラボの中を見学させてもらい、ツォクトバートルさんにお話を聞いた。彼は自然史博物館の古生物展示の責任者で、外国との発掘プロジェクトのリーダーを務めている。

[写真:人力] ちょうど、我々と同じ頃、南ゴビで発掘調査をしていた林原の一行が帰ってきていた。なにやら重たいモノリットをトラックからおろしている。聞いてみたら2トンはあるとのこと。恐るべきマンパワー。これじゃ、やっぱ私は発掘隊には加われないや。

鷲の谷

[写真:ヨーリン・アム] 南ゴビ到着日の午後は期せずして観光だった。スタッフがキャンプ設営するための時間稼ぎ(?)である。目的地は鷲の谷(ヨーリン・アム)という、キャンプ地から南へ車で1時間ほどいった山の中である。途中、ゴビの小さな博物館があった。そこからの風景がなんとゴールドソーサー(ファイナルファンタジー7に出てくる場所)に似ているのだ。なんだか変な気持ちである。
 鷲の谷は初夏には雪渓が残るというが、もうこの季節は残っていないようだった。それよりも何よりも、ここにはナキウサギがたくさんいる。ナキウサギなんて、いてもそうそう見れないだろうと思っていたのに、凄い密度でいるのだ。こいつは耳が短いのでぱっと見、ネズミに見えるが、歩き方はやっぱりウサギだ。跳ねている。ハムスターを飼ってこの方、げっしー(齧歯類)ファンの私は思わぬ光景にるんるんだった。
 鷲の谷からの帰りには車がパンクし、ついでに雹が降ってきた。雹に打たれるのも初めての体験だった…。

ウランバートル市内

[写真:道ばた] 1年前とウランバートル市内がどうかわったか、と聞かれるとなんとも言えない。変わっているのかもしれないし、変わってないかもしれない。去年、誤って踏み込んだ床屋はテナントを撤退したのか、建物の中は工事中だった。今年も野外ビリヤードは健在だったし、キオスクには雑多な品が並んでいた。物価が高騰してひどいことになっているときいていたが、人々の活動からはそんな様子はうかがえない。マスメディアの報道より人々はずっとしたたかだといういことか。
(写真:道ばたの本屋。リサイクルショップですな)

 

テレルジ

 モンゴル旅行日程の最後にテレルジへいった。ウランバートルから東へ車で1時間ちょい。なんと全行程舗装道路である。ここには自然の風景の中に溶け込んだ恐竜の像があるときいていたのだが…。残念ながら、それらはいわきの海竜の里とあまりかわらない趣だった。「地球の歩き方」の写真家はうまく撮ったもんだ。

[写真:テレルジ]

 この日、テレルジではミニ・ナーダムが行われていて、バヤンゴルホテルにいた日本人のマラソンツアーご一行様がバス3台で乗りつけていた。翌日行われるウランバートル市内のマラソン(ハーフ、10km、5km)にやってきた人達たちのオプショナルツアーだ。地元のお祭りにはいいサクラだったかもしれない。
 ミニ・ナーダムの競馬は、小学生くらいの子供たちが騎手で、なんと裸馬に乗った少年がチャンピオンになった。相撲は馬のオーナーたちという紹介で、模擬演技ぽかった。他にも弓の行事があったらしいのだが、競馬がゴールする頃に祭りの場にやってきた私たちは見れなかった。
 相撲が終わるとご一行様は乗馬体験に突入した。100人もいっぺんに乗馬体験したらどういことになるのだろう。興味津々、観察することにした。わーわー、きゃーきゃーいいながら、それでも暴走する馬もなく、彼らは無事、丘の向こうへ消えていった。馬が動かなくて立ち往生している人とか、馬が勝手な方向に歩いていってしまう人とかいたけれど、それでもモンゴル人スタッフに助けられてなんとか。期待したような(?)修羅場を見ることはなかった。

 テレルジの夜は冷えた。すごく冷えた。で、ゲルにある薪ストーブに火を入れた。本当は自分で火をつけてみたかったのだけれどうまくいかず、回ってきたキャンプ地スタッフのおねーさんにつけてもらった。薪ストーブは温度調節が難しく、火持ちが悪い。隣のゲルは早くも過熱状態、時々外へ出て体を冷ましているようだった。私のところは朝にはすっかり冷えてて、ふとんから出るのもそのまま寝ているのもちょっとつらかった。

北京で水餃子

 昨年、第4班は最後の北京で水餃子を食べに出たそうだ。他にもいろいろ食べて安くておいしかった、という話をさんざん聞かされていたので、北京での夕食は「現地の人が行く食堂で水餃子」ということにした。ホテルの近くの通りをぷらぷら歩いててきとーに店に入る。メニューは漢字だからなんとなくわかるが、点心系が載っていない。「ギョウザ」といっても通じないし、「餃子」という漢字がすぐでてこなくてちょっと困った。とりあえず「シュイジャオズ」で通じてほっとした。
 実は、私はモンゴル語の前は中国語講座に通っていたのだが、こいつもあまり身になっていなかった。お店のおねーさんのしゃべる言葉が皆目わからない。このおねーさん、しゃべりまくってなかなか筆談にも応じくれない。一番困ったのは水餃子の量。「一斤」といわれても、「斤」という単位がどのくらいの量をさすのかわからない。「多少(どのくらい)」ときいても「一斤」というばかり…。ここはエイヤで4人で半斤頼んで正解だった。もっとも、PANTHEONさんが腹具合が思わしくなくて食を控えていたせいもあるが。この他、マーボー豆腐、鶏肉の煮たやつ、スープ、とたのんで4人で36.5元(約600円)。それがおいしかったこと!日本の高級中華料理店で食べるよりずっとおいしい(というか、私の口に合う)。もう大満足であった。
 それにしても、この通りでは“どこにでもいる日本人”の姿を見かけなかった。みんな、もっと市の中心部にでかけてしまうからだろうか?もったいない…。

 

終わりに

 今回の旅行は恐竜発掘だけに的を絞ったはずだったのだが、諸般の事情で日程が伸びて予算をオーバーし、観光もしてしまった。でも、それだけの価値はあったと思う。我々の希望をかなえてくれたモンゴル側スタッフのおかげでもあるし、一緒にいったメンバーのおかげでもある。ひとりじゃできない経験をいっぱいさせてもらった。初対面であるはずのHYPERSAURSさんも妙に馴染んでいたし…。
 来年は、やるんだったらもっとうまくやろうと思う。もっと骨の勉強をしていこうと思う。もっとモンゴル語の勉強も…(うまくやれなくて北米にいってしまうかもしれないが)。あなたもどうです?

[写真:シレと砂丘]
ツグリギン・シレの上からみる砂丘

おしまい


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Aug. 8, 1998
Last Modified: Sep. 19, 2001

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