再び、南ゴビで恐竜発掘

ピナコサウルスの絵
1998年8月10日〜21日


手配道中発掘前半発掘後半終幕


今年も南ゴビ

 モンゴルもこれで3回目である。今年は楽できると思ったのに…、大誤算だった。今回はツアー成立までの苦労話からはじめよう。
 去年のツアーが終わった時点で、「次は西ゴビへ行こう」ということになっていた。(「南ゴビ恐竜発掘ツアー」参照)しかし、春先にモンゴル側に問い合わせたところ、8月いっぱいは忙しいので、行くとしたら9月だといわれた。9月じゃ、休めないよ、ということに。
 幸い今年は、上毛新聞旅行センター企画・恐竜王国友の会が協力するツグリギン・シレのツアーがある。去年の仲間と相談して、今年も南ゴビへ行こう、ということにした。

 上毛さんのツアーは、予定では水曜発8日間プランが3本。但し、それだと発掘地に3日間しかいられないので、ツアー2本分滞在を許してもらえるか、延長プランをつくってもらえるか、ということから交渉を始めた。上毛さんのツアーキャンプの跡地を使わせてもらうプライベートツアーというところで決着がつきかけたのだが…。

値段交渉

 本家、上毛さんツアーに人が集まらない。集まらないとキャンプ跡地利用というメリットが失われる(高くつく)。見積もりを出してもらったら無茶高い。上毛さんの8日間プランが30万円台前半なのに、軽く40万円を越えてしまう。そりゃ、あんまりだ。モンゴル行きの航空券は値切れない。なんたって、ミアットモンゴル航空しか飛んでないので、殿様商売なのだ。モンゴル滞在費で値切るしかない。
 モンゴル側の手配は去年もお世話になったNew Mon社である。そこの社長のオユンナさんは、モンゴル古生物学研究所のバルスボルド博士の専属通訳というか秘書というか、そういうことをやっている人である。恐竜王国友の会も一枚噛んでいるので、ここはオユンナさんたちと親交が深く恐竜王国友の会の事務局でもある中里村恐竜センターの高橋さんが交渉役を引き受けてくださることになった。
 日程から観光をはずし、支払いも現地ドル現金払いにして、なんとか我慢できる価格にさげたものの、円安が凄くて、これには参った。去年のレートでいけば、十分許容できるドル価格なのに、換算すると馬鹿高くなってしまう。価格決定が、橋本内閣崩壊−小淵内閣組閣の混乱期にあたってしまった。1〜2日ずれただけで数万円かわってしまい、ドルを買っていなかった人達はじたばたしてしまったのだった。

[キャンプ地]
今年のキャンプ地全景。去年よりグレードアップ。
真ん中のテントは倉庫。むかって右端はキッチン

またもや航空券問題

 大誤算の最たるものは航空券である。去年すんごく苦労したので、今年は早くから日程と人数を、手配を担当する上毛さんに申告しておいた。金額問題があったため、メンバー確定は後ろへずれこんだが、それでも関空発直行便利用水曜発土曜帰りの11日間プラン10名、先に帰る8日間プラン2名、というのは5月末には決まっており、念を押していた。それなのにである。出発1ヶ月前になって、水曜発はとれないので火曜発でどうかといってきた。あわてて日程を全体に1日ずらすことで全員の了解をとったものの、さらに火曜発でも8日間以外は直行便はとれないということになってしまった。なんでも、8日間セットでしか航空券を売ってもらえないらしい(なぜだ〜!?)。韓国経由にすると往路は1泊がはいるという。金曜発じゃないと同日乗り換えは無理なのだそうだ。とれないならもっと早く言え、である。
 結局、どうしても発掘に行くという強い意思を持つ11日組は、休暇を2日余分にとって、10名とも参加ということになったのであった。

参加した人々

 今回の参加者は昨年の南ゴビツアー仲間4名+昨年のフルンドッホ組(吉村作治の発掘アカデミーの恐竜発掘ツアー)4名+一昨年のフルンドッホ組(インターンシップの恐竜発掘ツアー)2名+モンゴル初体験2名であった。
 昨年のフルンドッホ組のうち2名は、おなかを下してかなりつらい目にあったらしい。なんでも寝たきり状態になるほどの腹痛にやられたそうだ。発掘に関する質問はあまりないのに、生活面の質問がものすごくたくさん出て、準備にも気合が入っていた。そんなにひどい目にあったのなら、もう二度と来ないのがふつーだが、来てしまうところがさすがである。さらに、モンゴル初体験者のうちの1名は、“誰も会ったことがない”ネット上だけの知り合いであった。それでも来てしまうんだから兵である。

[マスク写真]怪しい人々の一部

ツアコンもどき

 さて、上毛さんから書類一式を手にしたのは、出発3日前の金曜日だった。今回、12日組はモンゴル団体ビザである。私のパスポートだけにビザのスタンプが押してあり、ほかの人達の名前を書いた書類と一緒に出入国審査に出すのだ。すなわち、私がいないとみんなはモンゴルに入れないし、出られないのである。長期海外出張していて個人ビザの申請ができない人がいたので、団体ビザのが都合が良かったことは良かったのだが、やはり緊張してしまう。
 おまけに、韓国からの帰りの航空券は日本で手配ができず、ソウルのホテルで受け取ることになっていた。もひとつおまけに、日程表には「KE(大韓航空)」と記されていたソウル→ウランバートルの便名が手元の航空券では「OM(ミアットモンゴル航空)」になっている。いいのだろうか…。団体ビザのコピーも2部あるし、部屋割り表みたいなのも複数はいっている。何に使うんだろう。質問しようにも、上毛さんの担当者は添乗に出てしまって不在である…。

続く→


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Oct. 16, 1998
Last Modified: Oct. 30, 2001

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