再び、南ゴビで恐竜発掘

ピナコサウルスの絵
1998年8月10日〜21日


手配道中発掘前半発掘後半終幕


発掘1日目

 最初は何もかも気合が入るものだ。前のグループから引き続き滞在するいとーさん(一昨年のフルンドッホ経験者。モンゴルにキュレーター(化石剖出)の修行にきていたこともある。)にペルセウス流星群は明け方5時頃が見頃、と教わった。4時半に起きて流れ星を見んとしたが、月が明るいわ、雲はやってくるわで、たいしたことなかった。これなら月のない夜中のがましだ。5時半まで粘ったが、諦めてまた寝てしまった。

 今年のインストラクタはバタムさん(本名:バダムガラフ)。バルスボルド博士と同年代のマダムで、専門は地層のほうらしい。発掘隊では主に骨の出方や地層を記録する仕事をしていたらしい(間違っていたらごめんなさい)。恐竜は専門じゃないけど、多くの恐竜発掘現場を経験している大ベテランである。
 初日は最初にバタムさんからここらの地層についての軽い説明があった。

 それから、バルスボルド博士から、プロの化石発見方法は狭い範囲を何回も歩くことだ、と教わった。

[砂丘]

 さあ、いよいよ発掘だ。まずは、去年のキャンプ地付近までミニバンで移動した。2回に分けてのピストン輸送だ。シレ初めての面々はどうしても砂丘が気になるらしい。化石探しより先に砂丘に登ってみることになった。
 今年はやはり雨のせいか、砂が重い。去年のようにびしびしとは飛んでいかない。砂の上には鳥の足跡がついており、バルスボルド博士が「ここで着地して、ここで飛び立った」など説明してくれた。そうか、そうやって観察するのかぁ、と感心した次第である。やはり見る人が見ると見えるものが違う。
 砂丘に満足して、シレ側の崖をうろつく。私の目はまた節穴に戻っている。化石のカの時も見つからない。遊牧民の少年が馬に乗ってやってきた。にこにここっちを見ているので、声をかけてみる。モンゴル語を習ったことが初めて役に立つ。「お名前は?」。近くのゲルにすんでいるらしい。彼は写真を撮ってもらいたかったみたいだ。写真を撮ってメモ帳を渡すと名前と住所を書いてくれた。あの写真、送ったけど届いたろうか…。

 キャンプ地に戻るとまた米国人が見物しにきていた。それから、トイレが掘り掘りに変身していた。
 今年のキャンプ地にはトイレが1つ、それも最初は何故か水洗だった。ドラム缶タンクがついているが、すぐに水が足りなくなってしまう。それに日本人だけで女性7人もいると朝など絶対間に合わないという意見が出た。前のグループは大丈夫だったらしいが、我々のが人数も多いことだし、ゴビ慣れしている男性陣が「外でする」といってくれたので、そーいうことになった。女性陣も混雑時に「外でする場所」を下見しておくことにした。実際、掘り掘りに変身したあとのトイレは、穴に水がたまっていて蚊と蠅が凄くて、外のが気持ちよかった…。

[水洗トイレ][トイレとタンク][掘り掘りトイレ]

[針鼠] 今年でゴビも3回目なのだが、初めての体験が多かった。そのうちの最たるものが“蚊”である。去年は風が強くて蚊など飛んでられる状態ではなかったのだが、今年は雨が多くて、地元民もびっくり、大発生したらしい。砂嵐を覚悟していたのに風も強くなくて、大きな顔してぶんぶん飛んでる。我々も蚊対策を怠っており、日程最後のほうは蚊取り線香がきれてしまい、馬糞いぶしのお世話になったのだった。
 うれしいほうの初体験は針ねずみが見れたことである。スタッフが捕まえたそうだ。去年は、抜け殻(?)しか見かけなくて、帰国後、同じ地にキャンプをはった米国人のページでその姿をみて悔しい思いをした。針ねずみは思いのほか大きく、思いのほかかわいいかった。

[アラグ・テグへ向かう] 午後は徒歩10分のアラグ・テグに出かけた。キャンプ地のあるあたりまではシレと同じく白っぽい地層だが、アラグ・テグは赤い地層である。鉄分が沈殿したせいらしい。
 前のグループの人が、去年私がみつけ、埋め戻したハドロサウルス(多分)を掘り出しておいてくれた。感激!埋め戻して印に灌木を刺しておいたものの、本当に探し当てられるとは正直、思っていなかったのだ。今年は、これが発掘に値する規模の化石かどうか確かめるために、さらに掘ってみろ、ということになった。私はここにとりつき、他の人たちは新たな発見を求めて散っていった。この日はさしたる成果も無く、ふーん、という感じで化石探しを終えたのであった。

 夜は、食堂ゲルのテレビで、アンドリュース隊のドキュメンタリ・ビデオの上映会があった。多分、米国制作だと思う。全編英語なので、知ってるところしか聞き取れない、という状態である。そう、テレビ。今年は発電機があって、ゲルに電球もついているのだ。

発掘2日目

 この日は午前も午後も車でシレのほうへいった。この日からはピストン輸送ではなく、ミニバンに16人詰め込み。博士がいる間しか車は使えないので今のうちだ。前のグループは延々シレまで30分近くを歩いていっていたそうだ。シニアも小学生もいたのに、大した根性だ。やはりこんなところまで来てしまう人は心掛けが違うらしい。
 バルスボルド博士からは、プロトケラトプスはいいから獣脚類を探せという司令が出ていた。我々だって見つけたいのはやまやまだが、どうしてもプロトを見つけちゃうのだ。まず、Minewさんが崖から突き出ている骨を発見、出ている骨はあばらと骨盤の骨っぽく、どうもプロトくさい。
[襟飾りの縁] 私は相変わらず節穴で、何の成果もない。つださんは初っ端から一ヶ所にはりついて動かない。近寄ってみると、こちらもプロトの襟飾りの縁っぽいものが出ている(写真:はけの柄の上の白い部分)。こいつは博士の検分により、もっと掘ってみ、ということになった。午後につださんとバタムさん+αで掘り進んだところ、歯のついた下顎がみえてきた。後ろ足の指も出てきた。すると、博士から全身掘りだせ、というお達しが!おお、これで今年もプロト一匹だ。去年の化石大当たりボーイのSさんが今年は来てなかったので、ちょっと不安だったのだが、これだけ人数がいれば、運もめぐってくるのだな。つださんは一昨年のフルンドッホ参加者だが、その時は何もみつけられず、人の見つけた化石をひたすら掘り出していたのだそうだ。

発掘3日目

[ツダ現場の3人] 午前中はまず、つだ現場へ行く。そこにつださん、バタムさん、Pさんの3人を残して(写真:中心の点々がつだ現場の3人)、Minew現場を検分。こちらの場合、プロトケラトプスではあるが、頭が埋まっていてよい標本かもしれなのであとで掘り出す、というお達しが。崖なので、上部の1メートル分くらいの土を全部どかさなければならない。短い日程の我々の力が及ぶところではない。
 その後、つだ現場の3人以外は車で移動、前のグループの人たちが掘り出した現場検分についていった。それらはみなプロトケラトプスだった。そして、みんな埋め戻された。埋め戻すといっても、あとで見つけて掘り出すことが可能なように、ポリエチレンの袋を裂いたカバーをかけてから土を盛り、目印に石などを置いておくのだ。
 つだ現場の3人以外は、ひたすら化石探しをした。今年の期待の星、さなえさん(昨年、フルンドッホで見事なカンプソサウルスをみつけた)は、次々とプロトをみつけては、ぼろぼろだからと破壊活動に勤しんでいた。ぼろぼろで掘り出す価値はないとはいえ、つながっている化石を見つけちゃうんだからすごい。私は相変わらずかけらしか見つけられない。Minewさんはまたもや怪しい小さい化石をみつけた。
 この日、日中は暑かった。日陰は24度くらいなのだが、日なたは38度くらいまで上がる。空気中に湿気があるので、暑さがこたえる。蒸し暑いのが大の苦手の私は出力50%ダウンという感じだった。湿気をとるか、砂をとるかといったら、私は砂をとる。飛砂は痛いが、蒸し暑くて風が無くて蠅や蚊に寄って来られるよりずっとましだ。何よりも、目が開けられなくても、カメラが壊れても、気分は冒険。ああ、砂嵐よ、やって来い!

 夕方、発掘を早めに切り上げて牧民のゲルを訪問した。馬乳酒とラクダのシミアルヒ(馬乳酒を蒸留したやつ。穀物からつくるアルヒよりアルコールが弱い)とラクダのチーズをごちそうになった。ゲルには猫が1匹いて、みんなの注目を集めていた。モンゴルでは犬はたくさんいるのだが、猫を滅多に見ない。このゲルの猫は大切にされているらしい、毛並みもよく、どやどや人が入ってきてもひとりくつろいでいた。
 牧民の家では、我々は15歳といわれた。ふふふ、平均年齢はその2倍を軽く越えている…。日に焼けてない奴等は若くみえるのだろう。以後、「15歳だから」というフレーズが我々の間で流行ってしまった。

 この日はPantheonさんの誕生日だった。夕食後は食堂ゲルにお菓子とお酒を持ち込んで、パーティー。明かり採り用のろうそくをかき集めて、♪Happy birthday to you...。吹き消しセレモニーも実施した。
 このあと、外でキャンプファイヤーをやった。この日は在蒙英国大使夫妻がこのキャンプ地に泊まりにきていて、彼らも輪に加わった。たまたま大使の隣にすわったMinewさんがお話係に。いつもは静かなMinewさんが英語だとよくしゃべると知って、みんな驚きだった…。

発掘4日目

[水を運ぶ] 英国大使にツダケラトプス(つだ現場のプロトケラトプス。我々はこう呼んでいた。)を見せてからジャケッティングすることになった。まずは現場まで水を運ぶ。8日間プランの二人は貴重な男手である。(写真:ミルクをいれるコンテナに水をいれて運ぶ)
 現場にやってきた大使は博士としばしお話をする。大使はプロトケラトプスのことは知らなかったようだ。“恐竜”なのに思いのほか小さく驚いたようだ。あと、「これはどうやってみつけたんだ」とか…。そういわれても…、我々は下をむいてただひたすら歩き回るだけなのだ。「ジュラシク・パーク」よろしくソナーで探知、なんて技は使っちゃいない。

[ジャケッティング直前のツダケラトプス] ツダケラトプスは、博士とバタムさん、いとーさんの手によってすばやくジャケッティングされた。しばらく乾かさなければならない。我々は昨日までに他のメンバーがみつけたポイントをめぐった。
(写真:ジャケッティング直前のツダトケラロプス)

 昨日のMinew第2現場はプロトケラトプスと診断された。プロトの子供じゃないかということだった。Pantheonさんの現場はどこだかわからなくなってしまった(あとで見つかったらしいが)。群馬県民もなにか見つけた。小さいプロトケラトプスだったらしい。

 午後にはツダケラトプスを裏返して、余分な土を削ぐ。今まで手を出しかねていた女性陣がシャベルを片手に蟻のように群がる。裏にも石膏をつけて固め、生乾きのうちに運んでいった。博士たちは、今日、帰途につく。車がある間に運んでおいてもらわないと…。

[裏を削ぐ][運ぶ]
左:土を削いでいるところ。右:ツダケラトプスを運んでるところ。

[シャンプー] 風呂無し生活も5日になるとさすがに水を浴びたくなる。例年より湿気があるとはいえ、乾燥しているし、ウェットティッシュ等で拭いているので体が臭いというほどのことはないのだが、気分的に苦しいものがある。女性陣は手洗い用の水をペットボトルに入れて頭にかけはじめた。毎日、ドライシャンプーを使ってはいた。しかし、本来の使用法のように泡立て拭き取るというところまではいかず、まあ、頭皮が多少すっきりするくらいのものであった。ペットボトル1本では洗髪したという状態まではいかないが、地肌を水が流れるだけでかなりリフレッシュする。

 さて、夕食後、博士たちと8日間プランの二人といとーさんはここを発つことになっていた。今夜はツーリストキャンプに泊まって、翌朝の飛行機でウランバートルに戻るのだ。夕食時には何故かアルヒが3本も空いた。道中、無事だっただろうか…。

続く→


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Oct. 16, 1998
Last Modified: Sep. 19, 2001

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